日食を見るのに専用のグラスを使えだのテレビでは高価な商品を売りつけるサポートを行っていた。開運とか余計な付加価値をつけないあざといやり方が気に食わない。日食を見るのにはガラス板に蝋燭の煤を浴びせたものを使用するのが当たり前だったのに、いつから商品を買わなければいけない世の中になったんだ?
思えばブレーカーという高度な技術がなかった頃は一般的にヒューズが使われており、停電が起きるのは日常的な家庭の風景であったから、蝋燭を備蓄していない家庭は金銭的な事情がない限り、存在し得なかった。日用品で賄えたため、ガラス板に煤という道具は常識であり、学校でも当然のように使われていた。
今の時代では、ガラス板が危険とか火を扱うのは危険とかあるのだろうね。そんな簡単なものも扱えない欠陥品は自然淘汰されるべきなのに、その機会を奪う社会はゴミを集めて環境を壊した挙句、原因を他所に擦り付けるどうしようもない世界だ。
人間は平等だから弱者を助けるとか、下らなさ過ぎる。人間は不平等に扱われるのが当然なのに、それがわからない知能の持ち主は社会から淘汰されるべきだ。困った人を助けるというのも虫唾が走る。本当に困ったときは誰も助けてくれないことは、物心がついて数年のうちにわかることだろう。それがわからないとは何とも言いがたい。
<質疑応答> Q.不正受給を受けている人は、正直な人より得をしていることから不平等と言えるため、今までの発言は不正受給者を擁護し、なおかつ肯定するものですよね? A.72点です
最近話題の不正受給者の存在は人間として認めるべき、という点のみ正しいです。不正受給者は不条理に殺されなければならない点が不足しています。擁護することは生きる権利を平等に与えることになります。してはいけないという観念は思考を鈍らせる良くない要素です。
|